コール・ランチは、ブドウ畑であると同時に、アメリカ最小のアペラシオン=AVAでもある。1970年代にジョン・コールが植えたのが始まりで、現在はカベルネ、ピノ・ノワール、メルロ、リースリングを栽培している。マイク・ルシアは最近この150エーカーの土地を購入し、将来的にはガメイ、トルソー、サヴァニャン、プルサールといったアルパイン風の品種を加える予定だ。敷地は253号線の真ん中にあるベンチのような土地にあり、ウキアやアンダーソン・ヴァレーのブドウ畑からはまったく隔離されている。生産されるワインは品種に忠実でありながら、シャブリを彷彿とさせるミネラルと口当たりの良さの核を保っている。
白桃、ライムの皮、パン酵母、ペトロールの柔らかな香りに砕石のニュアンス。ライトボディの味わいはドライでテクスチャーがあり、ピリッとした酸味、柑橘類を主体とした風味、長くジューシーな余韻が楽しめる。
オーナー、ロス・コブ(RossCobb)の父デイヴィッドは、海洋生物学者としてのキャリアの後、第2の人生を過ごす新しい場所を探していました。長くワイン造りを夢見ていた彼は、カリフォルニアの海岸線をオレゴン州の境まで何度も旅しながら、1989年にソノマ郡の西端でレッドシダーの森林の近くにタマルパイス山からロシアン・リヴァー・ヴァレー河口までの眺望を持つ土地を見つけ妻のダイアンと共に移住しました。電気も水道も通っていなかったため全てゼロからの挑戦でしたが、海洋学や生態学の知識を持っていたデイヴィッドはこの土地の土壌や気候から、世界に誇れる素晴らしいピノ・ノワールを作ることができると確信し、息子のロスや友人の協力を得て、最初の4エーカーのピノ・ノワールを植えました。これが“コーストランド・ヴィンヤード”の誕生です。
地元ソノマのワイナリーで著名なウィリアム・セイレムは、コーストランドのブドウの品質に真っ先に注目し採用した最初のワイナリーで、1994年には単一畑として指定しました。
サンタ・クルーズの大学で農業生態学を学んでいたロスは、休みになると両親の畑を手伝っていたが、卒業後両親の近くのFerrariCarranoに就職し土壌科学研究所を立ち上げ技術者として務める傍らファミリービジネスをサポーとしていました。ワインメイキングの本格的なキャリアは1998年ウィリアム・セイレムで始まり、2000年にはフラワーズにアシスタントとして入り、2004年にはワインメーカーに就任、その後ハーシュ・ヴィンヤードでも6年間醸造を担当し、ワイナリーの名を不動のものとしてきました。この間、自身のブランド、“コブワインズ”は、2001年に初リリース。フラワーズやハーシュでコブのブランドも造らせてもらいながら、このファミリーブランドをどうやって育てていくかを思案していました。
2003年業界での認知度を上げるため、ザガット・レストランガイドを片手にサンフランシスコ周辺の高級レストラン75軒を選び、初リリースの2001年ヴィンテージ6本を持ち、一つ一つのレストランのドアをたたきました。彼らの努力は実を結び、ベイエリアの120軒のレストランに置かれるようになりました。
このような地道な訪問に加え、ロスはソノマ産のワインがいかに素晴らしいか、そしてさらに進化するために何が必要かの検証も同時に行ってきました。カリフォルニアでの収穫や醸造の合間を縫って、ソノマ産のピノ・ノワールを持てるだけ抱えブルゴーニュ地方へ赴き、現地のワインメーカー達に試飲してもらったのです。自分自身もできる限りセラーで働かせてもらい現地のワインを試飲しながら、ブルゴーニュのヴィニュロン達と米仏のワインについて様々な意見交換を行いました。フランソワ・ルクレールはロスの行動力に感銘し、25以上の生産者を集め合同試飲会も行いました。若年30才にしながら、ロスはソノマとブルゴーニュの間に確固とした関係を構築し、彼らのコーストランドを含むソノマ産ピノ・ノワールに対する高評価は大きな自信を与えてくれました。ソノマの高級ワインとして、多くの星付き高級レストランにオンリストされている現在でも、ロスは不定期ながらブルゴーニュへ赴き、常により優れたワイン造りへの研究に余念がありません。